木綿の歴史は浅く、木綿が衣類に使われるようになったのは、江戸時代に入ってからだといわれています。
それまでの素材は、絹と麻が中心で、一般的には麻でした。麻の衣類は保温性が低く、冬場は何枚も重ね着をしないと寒くてしょうがない。
そんなわけで、優雅な装束である十二単も、何枚も着込まないと寒かったから、重ね着になったという理由があったものと思われます。
しかし、夏場の生活では、保温性が低く、放熱性に優れていたので麻は快適でした。
木綿は保温性・保湿性が高く、木綿を衣類に使うようになってからは、冬の生活がうんと楽になったわけです。
木綿の衣類で、重ね着から解放され、冬場に活発に動けるようになったことは、生活スタイルを大きく変え、省エネにつながりました。
江戸時代、八尾を含む河内地方は、全国有数の綿作地帯でした。その綿から作られる木綿は、「河内木綿」として全国的に知られていました。
寛永15年(1638)『毛吹草』という全国各地の特産物を紹介した本には、河内の特産のひとつとして「久宝寺木綿」が紹介されていますし、元禄2年(1689)の貝原益軒『南遊紀行』にも、「河内は綿を多く栽培し、とくに東の山のふもとあたりが多く、その綿から織った山根木綿は京都で評判となっている」と書かれています。
さらに、1704年(宝永元年)に大和川が松原方面付け替えられると、それまでの旧流路に出来た新田が砂地で綿作に向いていたこともあり、綿作りがますます盛んになり、木綿織りはさらに発展していきました。
そんなわけで、江戸時代も元禄を過ぎたあたりに、最初に大産地となったのは畿内でした。次いで伊勢・三河でした。
畿内の綿作は,秀吉の時代に大和の国で始まり,その後和泉,河内,摂津,山城へと広がっていき、これと連動して,副産物である綿実の油が、産地の近辺で生産されるようになったわけです。
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