武蔵野美術大学講師 石川英輔さんは、多くの江戸時代のリサイクル事情の本を出されており、講演もされていることで有名です。
その中で、江戸時代の舗装について、次のように語られています。
「江戸の都市計画の面でいうと、彼ら先人は江戸をヒートアイランド化から守ろうとする発想を持っていたように思われます。
その理由は江戸には舗装道路がありません。進歩主義の人は、江戸は遅れていたから舗装道路がないのだといいますが、私はそうではないと思う。
当時の石工技術からすれば、当時の資料を見ても舗装されていない日本橋大通りなども、舗装をしようと思えばできたはずです。
実際、『江戸名所図会』に描かれた新宿の大木戸のあたり(今の御苑あたり)の一部は舗装されています。
青山の善光寺などお寺の参道も石畳になっています。
つまり、技術的に不可能だったのではなく、江戸の夏を快適に過ごすためには、舗装して都市の温度を上げないほうがいいと考えたのだと思います。」
なるほど、意図的に舗装していなかったとすれば、江戸時代は土埃が舞って、さぞや大変だっただろと思うのですが、近世初期における外国人ロドリコの見聞記によると、江戸の街路は美しかったと記述されており、少なくとも土埃が舞っていたということはなかったようです。
それではどんな道路の整備をしていたかと云うと、江戸時代初期の正保5年(改元慶安元年、1648年)江戸町触に、浅草砂というのが出てきます。
『海道(街道)の舗装として「浅草砂」に「海砂」をまぜて中高につくこと』を命じています。
「中高」とは中央を高くして左右を低くすること』を意味しています。
道路の中央を高くして水はけをよくするということですね。
ここでいう浅草砂とは浅草で採れる砂利のことであり、海砂は読んでの通りです。
つまり砂利と砂を混ぜて固めているので、土埃など舞うことが少なかったといえるわけです。
この土を固めただけの道路が、実は夏の江戸の街の空調設備であったと思われます。
アスファルトの道路は真夏の炎天下では55℃以上にもなり、熱射病になってしまいますが、土の上なら少なくとも10℃は低いし、打ち水をすればさらに5~6℃涼しくなります。
江戸時代は暑くなれば自然に打ち水がされたし、その効果があがったのも、舗装していない道路だったからこそだと思われます。あくまで個人的見解です。
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